むかーしむかし私が小学4年生の頃のはなし。 ある日突然現れた野良の黒猫「ミャーちゃん」(また勝手につけたベタな名前) 彼女(だったと思う)とはすぐに仲良くなれた。名前を呼べば、向こうの垣根からひょっこり顔を出してトコトコやってくる。
飼いたいと思うことはなかった。うちは所謂貧乏な家庭で、飼えないということが暗黙の了解だった気がする。 でも毎日のように遊んだ。 母が意外にも猫缶を買ってくれたことがあって、それをあげたことが一度だけあった。 ごはんをあげたのはその一度きり。一回あげればその後も期待するだろう。でも当時はそんな考えはこれっぽちもなかった。
玄関を開けた隙に家の中に入ろうとしたのを怒ったこともあったし、玄関先にネズミの死骸がおいてあって、こんなもの置いて!と怒ったこともあった。 それでもその後もミャーと遊び続けた。
ミャーと出会ってどれくらい経ったか。そんなに長い期間ではなかったと思う。 私は引っ越すことになった。 ミャーを連れて行こうとは頭の片隅にもなかった。離れてしまうことを寂しいとも思わなかった。
数日後、風の噂で私が住んでいた家の屋根裏に続く外階段で、ミャーが息絶えていたということを聞いた。
それでもそんなに悲しいと思わなかったし、罪悪感も全く感じなかった。 毎日のように顔を合わせていたくせに、 ごはんをあげて飼い主面していたくせに・・・・・・・・
今、ミータのことを考えると本当辛い。 ミータの飼い主は夜逃げのような感じで、家財道具も置きっぱなし、窓も開けっ放しでどこかへ行ってしまった。 そのアパートはうちの隣にあって、旦那の職場の社宅のような感じ。 新人がミータの部屋に新しく入るということで、部屋が掃除された。旦那も手伝った。部屋の中は酷い有様で、ミータが畳におしっこをしてしまっていたようで臭いも酷かったって。 もっと酷いのはミータの餌として「柿の種」が置いてあったということ。もう呆れた。
掃除中ミータを構っていたんだけど、いつもミータに会うのは日が沈んだ後だったから気付かなかった。耳と目の間の毛が薄いところ、そこが内出血っぽいというか傷になってて、左目からは黄色っぽい膿みたいな汁が出てた。
それから2日くらいミータの姿は見なかった。もう完全に左目は塞がってしまっているんじゃないかと、会うのが怖かった。
ミータが行き場を失くして3日後、彼に会った。夜で暗かったけど、左目が塞がってしまっていることは分かった。よく見ようと顔に手を当てるとなんか冷たい。急いで部屋から灯りを持ってきて照らして見ると、例の傷っぽいところが化膿していて膿で左の頬が覆われていた。
病院に連れて行かなきゃ、でもうちではどうしても飼えない、どこまで介入していいの?とパニックになりながら家の外と中を往復してるうちにミータはいなくなってしまった。 呼んでも来ない…帰る家はもうないはずなのに。
それから3日経つ今日までミータに会っていない。次に会うときはもっと酷いことになっているかも知れない。放っておけば右目も塞がってしまうかもしれない。 病院に連れて行っても完治までには幾度の通院が必要だと思う。それに病院に行った後、結局外で過ごすのならいつまで経っても治らないのではないか。完治するまでの一時でも保護できる環境がない。入院させてあげられるような金銭面の余裕もない。ううん、通院だけでも無理だと思う。 もし今回通院して完治しても室内飼い出来ないなら、またいつか怪我をしたり病気になったりするだろう。その度に病院に連れて行けるのか?それにもしかしたらもっと大きな病気が見つかるかもしれない。そうなった時、手術を受けさせたり毎日投薬したりできるのか? 自分に問いただした時、答えはノーだった。。。
でもこの答えも、行動できない自分にただ理由が欲しいだけなのかもしれない。 ごはんだけはあげるだけあげて、あとは知らん顔の卑怯な自分を正当化したいだけなのかもしれない。
結局私はミータに何もできない。中途半端に手を出してしまった自分がすごくやだ。ごはんはあげて首輪は付け替えて、なのに病院には連れて行けません、うちでは飼えませんなんて最低最悪だよ。でもやっぱりどうしようもなくて… ミータ、ごめん。
今こんな状態で、うちの子はこんなに可愛いのよ!とブログの更新をする気には到底なれない。普通に更新なんかできたら我ながら虫唾が走るし。 閉鎖も考えたけど、自分の気持ちを吐き出したい時があるかもしれないから残しておきたいと思う。 ただ、かいとぎんの記事のUPはもうないと思う。すいません。 かいとぎんを可愛がってくれたみなさん、ありがとうございました。
スポンサーサイト
|